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異説・ 狂人日記

 「我邦十何蔓わがくにじゅうなんまん精神病者せいしんびょうしゃじつ此病このやまいケタルノ不幸ふこうほかニ、
   此邦このくにマレタルノ不幸ヲかさヌルモノトフベシ。」

            呉秀三『精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察』より





 

概要

人数

1人

シナリオ舞台

大正日本

所要時間

Tekey使用 ¦ 完テキセ6時間程度

推奨技能

《心理学》《隠す》

探索者HO

探索者は精神科医である


時代背景

 大正十二年という時代は精神医学において一つの過渡期であり、私宅監置と呼ばれる『私人が身内の精神病患者を自宅に監禁して世話をする』という行為が適法であった。
 これは現在のような精神医学に対する行政の理解も少なく、かつ様々な精神病に効果のある薬が世に出ておらず、精神病院というものの数も患者の数と比べて大変少なかったためでもある。

 精神病を意味する言葉としての癲狂という表現が、あまり用いられなくなってきた頃であり、精神病、または脳病という呼称が一般的で、病院の名前も〇〇癲狂院などは〇〇脳病院、或いは〇〇医院などに改めるものもあった。
 寺社が現在の精神病院の役割を担っている側面もあったが、そこで行われていた治療行為と言えば、加持祈祷の類や滝壺で水に打たせる程度のものであった。
 精神病患者に内職や農作業などを行わせる作業療法などは一定の評価をなされていたが、広場での運動や生産活動を行わせているケースはそれほど多くなく、万を下らない患者が牢獄にも劣るような監置室に死ぬまで閉じ込められるか、或いはただ放置され続けたというのが実情であったようだ。

 精神病患者の扱いに関しては内務省、現在の厚生労働省の管轄であり、強制的に入院させる措置を取るときは警察官がそれを担った。私宅監置を行う際にも様々な規定が存在し、監置室の状態や患者の詳細を警察に届け、個別に許可を得る必要があった。しかし実際のところは、多くの市民にとって監置室を設けて患者の面倒を看続ける経済的負担は並大抵ではなく、努力義務に留まっていたのではないか、というのが当時の資料から察せられる実態である。
 時代背景としては、関東大震災の直前の時期であり、治安維持法の先駆けとなる『治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件』が公布されるより前の、比較的市民が自由に暮らす平穏な時代である。
 明治後期から大正末期に掛けて、女医の存在も無いではなかったが、男性医師に比べその数は圧倒的に少なかったことに留意されたい。



登場人物

妹尾 十三せのお じゅうぞう

二十一歳男性。少年時代に同級生から乱暴を受けて、精神に変調を来たした。
裕福な家庭であったため、私室を改造した部屋で四年ほど監置されながら、一年前まで探索者の治療に掛かっていた。
偏執病であり、しばしば周囲の人間が自分に害をなそうとしていると言っては暴れだすことがあった。
寛解時(病症が落ち着いているとき)は、ごく穏やかで物静かな青年である。
現在は池田脳病院に入院しており、探索者の担当は外れている。

〔注:現在『統合失調症』と呼称されている精神障害『スキゾフレニア(schizophrenia)』は、明治44年(1911年)に医学用語として提案されたが、日本では長く訳語が統一されていなかったため、ここでは全て『偏執病』と呼称している。なお精神分裂病という呼称は昭和から用いられた言葉であり、大正時代には存在していないことを留意されたい〕


妹尾 文恒せのお ふみひさ

三十一歳男性。十三の兄で、骨接を生業にしている。
病身の弟を哀れに思い献身的に面倒を見てきたが、病状の悪化に堪えかね、両親の遺した土地を売り払って十三を脳病院へ入れた。
探索者が十三を担当していた頃は、主に存命中の両親とやり取りしていた為、文恒と直接話したことは殆どなかったが、お互いに顔は見知っている。


真崎 敬之まさき のりゆき

五十五歳男性。池田脳病院の医師。
長身痩躯、表情は乏しく、声に感情を乗せずに喋る。探索者とは学会等で顔を合わせることもあり、互いに会えば挨拶を交わす程度の知り合いである。
精神医学に関しては現状を良しとしておらず、どちらかと言えば革新的な立場を取っている。